大野直輔は徳山藩士大野篤直の子で、
徳山藩校興譲館や長州藩校明倫館に学び、
慶応元年には山崎隊の総監に就任し、
幕長戦争で隊を率いて戦いました。
鳥羽伏見の戦いでは詔勅を持ち、
津藩への折衝にあたって勝利に貢献。
旧幕軍が大坂城を放棄した後は、
その接収の任についています。
明治元年には世子毛利元功の従者として、
英国に渡り経済学を学んでおり、
明治5年に岩倉使節団に合流。
海関税及び港内諸規則の調査に従事しました。
帰国後は租税寮出仕を経て造幣寮に出仕。
大蔵権大書記官、造幣局長、議案局理事、
預金局長、銀行局長、会計検査院部長、
文官普通試験委員長等を歴任し、
大正10年に死去しています。
大野直枝は直輔の長男で、
帝国理科大学卒業して植物学者となり、
東北帝国大学農科大学教授を務めますが、
大正2年に父に先立って病死しました。
青木善祐 证书赏状任命书等 【政治家 内务官僚 熊本县警察部长 长崎市长 宫崎市长 延冈市长】